プロフィール

はじめまして。
「不幸な完璧主義」から「幸せな完璧主義」へ
頑張りすぎるあなたをサポートする
しなやかメンタルコーチの松島身和(まつしま みわ)です。

実は、私もずっと完璧主義で、
「しっかりしなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」と自分を追い込み、完璧を目指して苦しい頑張り続けていました。

思い返せば、小さな頃から繊細で、周りの期待に応えようと“いい子”でいることが当たり前でした。些細な言葉に傷つきやすく、心を守るために完璧主義になっていったのです。

さらに、看護師という緊張とプレッシャーの大きな環境で、完璧主義はますます加速していきました。やがて、自分の繊細さを弱いと思い込み、隠すようになり、生きづらさを感じるようになったのです。

そして、気づけば自分の気持ちが分からなくなり、最終的にはバーンアウト…。

そのとき私を救い・支えてくれたのが、メンタルコーチの存在でした。

誰にも言えなかった本音を受け止めてもらい、自分と向き合うことで、
不幸な完璧主義の思い込みを手放し、「どんな私でも大丈夫」「繊細さも完璧主義も一つの個性」と思える”心の安全基地”ができたんです。

メンタルコーチとのやさしい気づきの時間が、自分を認め、自分を救い、イキイキとした生き方に変えてくれました。

だからこそ、
あなたが安心して話せるかが、いちばん大切だと思っています。
そのためにも、私との相性をしっかり確認してくださいね。

まずは、プロフィールを通じて、少しでも私のことを知っていただけたら嬉しいです。
少し長くなりますが、ぜひ読んでみてくださいね。

私は、4人姉妹の長女として、共働きの両親の元に生まれました。
父はマイペースで頑固な性格、母は繊細で完璧主義な一面があり、感情のコントロールが苦手な人でした。

小さな頃から繊細な気質を持っていた私は、周りの空気を敏感に感じ取り、「いい子」でいなければと自然に思うようになっていました。

忙しく働く両親の姿をみて、お姉ちゃんだから「ちゃんとしなきゃ」と思うようになり、妹たちの世話やお手伝いをすることが、いつの間にか私の“当たり前”になっていっていきました。

でも、本当は妹たちのように、お母さんの膝の上で甘えたかった。
それなのに、「お姉ちゃんだから」と思い、素直に気持ちを伝えることができませんでした。

どれだけ頑張っても、母から「ありがとう」や「よく頑張ったね」と言われることはなく、代わりに「もっとちゃんとしなさい」という言われることが多かったのです。

そのたびに、「ちゃんとしなきゃ」と自分を追い込み、気づけば、本音を言うことが怖くなっていました。

当時の私は、
それが「頑張らないと認めてもらえない」と思い込んでいるとは気づいていませんでした。
ただ、それが“当たり前”だと信じていたのです。

そしてこの「ちゃんとしなきゃ」という思い込みこそが、気づかないうちに私を頑張りすぎへと導く“原点”になっていったのです。

学生時代の私は、先生や友達から「しっかり者」と思われ、何かあると頼られることが多かったです。

部活では後輩の相談に乗ったり、クラスではまとめ役を任されることが当たり前でした。
「みわちゃんって頼りになるよね!」そんな言葉をかけられることが、日常でした。

でも、繊細な気質があった私は、人の表情や空気の変化にとても敏感で、
「断って嫌われたらどうしよう」と不安を感じてしまうことがよくありました。

だから、頼まれると「私がやればいいか…」と、つい引き受けてしまっていたんです。

本当は心に余裕なんてなかったのに、「頼られる=必要とされている証」だと信じて、どんなに大変でも、「私が頑張れば、みんなが助かる」と思っていました。
だから誰にも「助けて」と言えなかったんです。

感謝の言葉をもらうとホッとする一方で、心の奥ではモヤモヤが募っていく。
それでも、「私がやれば大丈夫」とまた一人で頑張ってしまう。

そうしているうちに、
「頼るよりも、自分がやった方が早い」と思うようになり、気づけば何でも一人で抱え込むようになっていました。

私が看護師を目指したのは、小さい頃から「人の役に立ちたい」という気持ちが強かったからです。

妹たちの面倒を見たり、友達や先生の手伝ったりーー
誰かの力になれることは「嬉しいこと」だったんです。

だから自然に「人を助ける仕事がしたい」と思うようになり、看護学校へ進学しました。

でも、看護学生時代の私は、次第に「ミスが怖い」「失敗してはいけない」と思うようになり、気づけば、完璧主義の傾向が強くなっていました。

「ミスは許されない」
実習が始まってから、そのプレッシャーはさらに大きくなりました。

看護の世界は、たった一つのミスが、患者さんの命に関わる厳しい環境です。
「少しの間違いが大きな事故につながるかもしれない」
「だから絶対にミスをしてはいけない」

そんな思いから、私は知識や技術も完璧にしなければならないと必死に努力しました。

でも、実習では一つひとつの行動に緊張感があり、指導者や先輩の目が怖くてしかたがありませんでした。
「間違っていないかな?」と不安になり、常に気を張っている毎日

少しでも注意されると、
「もっとちゃんとしなきゃ」と自分を責め、「完璧でなければ」という思い込んでいきました。

今思えば、この頃から私は、「ミスを恐れ、不幸な完璧主義の生き方」歩み始めていたのだと思います。

看護師として働き始めた私は、憧れていた医療の現場で働けることに喜びと誇り感じていました。
「患者さんの力になりたい」
「役に立てる看護師になりたい」
そんな思いで、目の前の仕事に全力で取り組んでいました。

でも現場は想像以上に厳しく、
「ミスは許されない」
という価値観はより強く刷り込まれていきました。

学生時代は守られていたけど、看護師になった瞬間から「もう一人前」
周りについていこうと必死に努力する日々が続きました。

同期や先輩と自分を比べては、「私はまだまだ足りない」と感じ、自信をなくしていく。

同期がテキパキと働く姿や、先輩たちが当たり前のように業務をこなす姿を見るたびに、「もっとできるようにならなきゃ」と焦りばかりが募っていっていきました。

その焦りから、私は「できる自分じゃなきゃいけない」と思い込み、少しのミスでも、「私なんてダメ」と落ち込む。
次こそは完璧にやろうと無理を重ね、疲れていても弱音を吐かず、常に全力で働くことが当たり前になっていました。

厳しい先輩の一言に深く傷つき「ちゃんとしないと怒られる」という不安や恐怖に押しつぶされそうになることもありました。

職場のピリピリとした空気や、先輩の顔色や言葉に敏感に反応してしまい、気を張りつめる毎日。
ご飯が喉を通らないほど苦しい時期もありました。
でも、「できるようにならなきゃ」と必死に勉強を続けました。

そのうち、人間関係や体調にも影響が出るようになりました。
失敗や注意されたことが頭から離れず、眠れない夜を何度も過ごしました。
ストレスから突発性難聴や不整脈を起こすこともあり、体は確実に悲鳴をあげていたのです。

そして、そんな自分の厳しさは、周りにも向かうようにまりました。
「後輩には同じミスをさせたくない」と思いから指導に熱が入り、いつしか周りからは「厳しい先輩」と見られるようになっていました。

本当は「一緒に頑張りたい」と思っているのに、その言葉に傷つき、自分の気持ちを素直に出せなくなっていったのです。

やがて私は、職場で本当の気持ちを話すことが怖くなり、弱音も本音も言えなくなりました。
気づけば仮面をかぶるように振る舞い、孤独を感じながら働くようになっていったのです。

繊細な気質ゆえに周りの視線や言葉に敏感に反応し、完璧主義ゆえに「もっと頑張らなきゃ」と自分を追い込む。
その二つが重なって、私はどんどん生きづらさを抱えるようになっていきました。

そして気づけば、私は「自分がどうしたいか」よりも「どう思われるか」「期待に応えられるか」を優先するようになっていました。

今思うと、知らず知らずのうちに、自分の気持ちよりも他人の評価を優先する“他人軸”で生きるようになっていたのだと思います。

やがて私は、看護師としての経験を重ねる中で師長を経て副部長になり、さらに責任の重い立場に進んでいきました。

しかし、そこで待っていたのは「信頼される嬉しさ」と同時に、これまで以上のプレッシャーでした。

「自信のない自分を見せてはいけない。」
「期待を裏切ってはいけない」
という気持ちはますます強くなっていきました。

私は周りの目や言葉に敏感に反応し、完璧を求めて頑張りすぎ、気づけば「どう思われるか」を優先うすようになっていました。
そんな生き方が、管理職になってからはますます強くなっていったのです。

この時の私には、不安や焦りしかありませんでした。

「成果をだしていないと批判されるのではないか」
そんな恐怖が頭から離れず、傷つくのを避けるために自分の本音を言えなくなっていきました。

組織の「こうあるべき」にがんじがらめになり、どんな小さなことでも完璧にしないと不安。
常に気を張りつめ、自分を追い込み続けていました。

「頼りにしているよ!」
「あなたなら大丈夫」

そんな言葉をかけられるたびに、私は、
「絶対に応えなきゃ」と自分にプレッシャーをかけました。

気づけば業務のほとんどを自分で抱え込み、休憩をとる余裕もなく、心も体もどんどん疲れ果てていったのです。

それでも、立ち止まることが怖かった。
「ここで崩れたら、すべてがダメになる。」
「私が弱音を吐いたら、誰が支えるの?」
そんな思いが頭の中を巡り、心も体も悲鳴を上げているのに、頑張ることがやめれませんでした。

そしてついに、ある朝、体がまったく動かなくなりました。
立ち上がろうとしても足が震え、
「もう無理…」と心の底から思いました。

その瞬間、張りつめていた糸がぷつんと切れたように、すべての気力がなくなってしまったのです。

こうして私の頑張り続けた先に待っていたものは、「成功」でも「充実感」でもなく、燃え尽きてしまうことでした。

誰かの期待に応えること、ミスをしないようにすること。
そればかりを優先して、私は一番大切な「自分の気持ち」を見失っていたのです。

燃え尽きて動けなくなった私は、ようやく「このままではいけない」と思いました。

「何かを変えなければ、また同じことを繰り返してしまう…。」
そう直感的に感じたのです。

でも、何をどう変えればいいのかわからない。
「休めばいい?」
「それとも、環境をかえればいい?」
いろいろ考えても、答えは見つかりませんでした。

それでも、
「このままでは私は壊れてしまう」
と感じた私は、長年やりがいをもって働いてきた看護師の仕事を、一旦離れることを決めました。

人間関係のストレスや仕事の緊張やプレッシャーから離れたことで、体は少しずつ楽になっていきました。
けれど、自分で決めた退職なのに、心にぽっかりと穴が空いたような空虚感が広がっていったのです。

さらに「看護師の仕事を途中で投げ出してしまったのではないか」という罪悪感にもかられ、どうしていいかわからない日々が続きました。

そんなとき、ふと出会ったのが「心理学」でした。
本を手に取ったり、講座に足を運ぶ中で、私は少しずつ
「なぜこんなに頑張りすぎてしまうのか」
「なぜ生きづらさを抱えてしますのか」
を理解できるようになっていったのです。

振り返ってみると、私は幼い頃から
「ちゃんとしなきゃ」
「期待に応えなきゃ」
と思い込み、無意識に“他人軸”で生きてきました。
繊細さゆえに人の気持ちや言葉に敏感に反応し、「もっと頑張なきゃ」と完璧を目指して自分を追い込む。
その積み重ねが、心も体も疲れさせてしまったのだと気づきました。

でも、わかったからといってすぐに変われるわけではありませんでした。
「頑張らなくてもいい」
「完璧じゃなくてもいい」

頭では理解できても、心がついてこない。
むしろ「頑張らない私にならなきゃ」と、新しい理想を追いかけてしまい、また自分を苦しめていました。

「変わりたいのに変われない…。」
そんなもどかしさを抱えながら、私はまた「頑張ることやめられない自分」と向き合い続けていたのです。

メンタルコーチングを知ったのは、ある記事がきっかけでした。
「考え方が変わるだけでなく、心の持ち方や行動が変わる」その言葉に、私はハッとしました。

「もしかしたら、私も変われるかもしれない…。」
そう思い、すぐに体験セッションを申し込みしました。

けれど当日は緊張でいっぱいでした。

「ちゃんと話せるんだろうか?」
「何を話せばいいんだろう?」
そんな不安を抱えながら、画面越しにコーチと対面しました。

コーチは穏やかで、決して否定することなく、私の言葉を一つ一つ受け止めてくれました。

「最近、心がざわざわしたことはありましたか?」

そう優しく問いかけられ、私は少し戸惑いながらも話し始めました。

「周りからはしっかりしているって言われるけど、本当はしんどくて…。」
「ちゃんとしていないと自分に価値がないように感じるんです…」

話しながら、ふと気づきました。
「今まで、自分の気持ちを“話す”ことすらしてなかったんだ…。」

言葉にするたびに、
胸の奥にしまい込んでいた感情が、少しずつ溶け出していくような気がしました。

「こんなふうに、自分の本音を口にするのは、いつぶりだろう…?」
そんな事を考えていると、コーチが静かに言いました。

「今まで本当に頑張ってきたんですね」
気づけば、目の前がぼやけていきました。
張りつめていたものが、ふっとほどけ、涙がこぼれ落ちました。

「私、こんなに我慢してたんだ…。」
言葉にしなくても、自分の中で、そう思った瞬間でした。
ずっと押し込めていた感情が溢れ出し、涙がしばらく止まりませんでした。

完璧を目指して頑張り続けるあまり、”完璧ではない自分”を否定し、”完璧主義の自分”すら否定し、ずっと追い込んでいたんだ気づきました。

コーチとの対話を通して、私はやっと「どんな自分も認めてなかったんだ」気づくことができたのです。

私は、メンタルコーチングを続けることにしました。

最初は「本当に変われるのかな…?」という不安がありましたが、セッションを重ねるうちに少しずつ心が整っていくを感じました。

そして同時に日常の中で自分の気持ちに向き合い、考え方や感情、行動を見つめ直すようになりました。

小さなセルフケアを取り入れながら、「今の私の心を大切にする」ことを意識していったのです。
このとき、私は改めて、心のセルフケアの大切さを痛感しました。

もちろん、コーチとのセッションは大きな支えでした。
でも、本当に変化を生んでいったのは「日頃の気づき」でした。

「私はどんな時に緊張するんだろう?」
「なぜ、ここで罪悪感を感じるんだろう?」
そんなふうに、自分の中の心の声に耳を傾けることが、少しずつ習慣になっていきました。

そうして、自分を縛っていた思い込みや「ちゃんとしなきゃ」というネガティブな価値観を、一つ一つ優しく手放していきました。

そのたびに心は軽くなり、
「ああ、私でもいいんだ」と思える瞬間が増えていったのです。

気づけば、以前のような強い焦りや不安に支配されることが少なくなり、心が楽になり、満たされるようになっていきました。

そして私はようやく、自分にこう許可を出せたのです。

「私は、私の人生を生きていい」

それは同時に、“ありのままの自分で生きていい”という許可でもありました。

私の看護師の仲間にも、かつての私のように自信のなさを隠すように「頑張らなきゃ」と自分を追い詰めながら必死に生きている人がたくさんいました。

心の重荷を少しずつ降ろし、「考え方や感じ方が変わる」ことで力が抜けた私の変化に気づき、相談されることが増えました。

中には、かつての私と同じように、「完璧じゃなくても大丈夫」という考え方に戸惑う人もいました。

そんな時は、話を丁寧に聞き、何度も伝えました。
「頑張らない=何もしない」ではない
「どんなあなたでも素晴らしい」
「ありのままの自分を大切にする」

戸惑いながらも、自分の気持ちに向き合ううちに、考え方や見方が変わり「頑張り方」変わって行きました。
そして、周囲にもその影響が広がり、温かくお互いを支え合えるようになったのです。

「自分が変わるだけで、こんなにもチームの空気が変わるんだ」
「完璧じゃなくても大丈夫なんだ」
私が感じた変化を、仲間の看護師たちも同じように感じていました。

そして、ある日、相談を受けていた看護師の一人がこう伝えてくれました。
「もっと早く知りたかった…!」

その言葉は、私が変化したときに心から感じてた気持ちでした。
「もし、もっと早くにこのことに気づいていたら、どれだけ楽になれたんだろう?」

かつての自分のように完璧の言葉に縛られ本音を隠しながら「もっと頑張らなきゃ」と、無理をしている人が周りにももたくさんいる。

「完璧に縛られ頑張りすぎて苦しくなっている人たちを、今度は私が支えたい」
その想いが強くなり、看護師からメンタルコーチになる決意をしました。

メンタルコーチとして活動を続ける中で、多くの完璧主義の女性たちと向き合ってきました。

その中で強く感じたのは、完璧という言葉に縛られ不安や自信のなさを隠すために、いつの間にか「頑張ること」が当たり前になっている。
そして、できない自分を否定して苦しくなっている人が多いということでした。

実は、かつての私もそうでした。
自信がない私が完璧にするには「頑張るしかない」「成果を出せば自信がつく」ーー
そう信じて、がむしゃらに努力を重ね続け、最終的にはバーンアウトを経験しました。

そんな時に出会ったのが、心理学とメンタルコーチングです。
学ぶ中で、私は初めて、完璧に縛られ「自分を認めてもらうには頑張るしかない」と思い込んでいることに気づきました。

そこには、子供のころの
「いい子でいなきゃ」
「期待に応えなきゃ」
「迷惑をかけちゃいけない」

ありのままの自分を受け止めてもらえなかった寂しさや不安の“小さな心の傷”が影響している。

それが、大人になっても無意識に影響して、
「ちゃんとしなきゃ」と、自分を追い込み、
「成果を出せば大丈夫」と信じて、自分の気持ちよりも、周りの評価を優先して頑張り続けていた。

これらに気づき、少しずつありのままを受け入れ、自分を癒しながら意識的に思考や行動を変えていくことで私は変わって行きました。

完璧を目指して頑張ることは決して悪いことではないし、素晴らしいことだと今も思います。
でも、心を縛る完璧という言葉を手放し、ありのままの自分を受け入れることで、心に余裕が生まれもっとラクに、もっと自分らしくしなやかに生きられる」と確信しています。

しなやかな心で生きるとは、無理に強くなろうとするのではなく、柔軟に自分らしくあること。

どんなに強い風が吹いても、椰子の木のようにしなやかに揺れながらも、根をしっかり張って倒れない。
「こうあるべき」に縛られず、自分の気持ちや状況に合わせて変化を受け入れ、無理のないペースで進んでいく。

そうすると、心に余白が生まれ、肩の力が抜け、穏やかで心地よい毎日が広がっていきます。

この感覚を、かつても私と同じように完璧を求めすぎて頑張り続けてしまう女性に届けたい。
その想いから生まれたのが、「しなやかメンタルレッスン」です。

毎日忙しく、仕事や家庭、周りの期待に応えようと頑張っていると、つい自分を後回しにしてしましませんか?

心も体も疲れてしまって、周りに「大丈夫?」と言われても、つい「大丈夫」と答えてしまう。
そんな時、きっと誰にも言えない気持ちがあるのではないでしょうか?

でも、覚えていてください。一人で頑張る必要はありません。

あなたはすでに素晴らしい存在です。
完璧じゃなくても、あなたはそのままで十分価値があります。
無理をしなくても、あなたらしくいることが、とても大切です。


完璧を求めて頑張りすぎてしまうのは、決してあなたが悪いわけではありません
ただ、「自分に合ったちょうどいい」を知らなかっただけです。

その方法を見つけるだけで、もっと自由に、幸せに過ごせることができます。
だから、無理せず、自分を大切にしてくださいね。

もし少しでも自分らしい理想の未来を叶えてたいと思ったら、ぜひ体験セッションでお話ししましょう。
あなたが心地よく前に進める方法を一緒に見つけていけたら嬉しいです

最後までお読みいただき、ありがとうございました。