プロフィール

はじめまして。
しなやかメンタルカウンセラーの葉音りんです。

プロフィールをみていただき、ありがとうございます。

私は、「心が苦しい人生」から「心が喜ぶ人生」へ。わたしを支える”自分軸”を育てるカウンセリングをを提供しています。

もしかすると今、あなたは
「ちゃんとしなきゃ」「こうあるべき」と頑張りすぎて、心が少し疲れているのかもしれません。

・いいお母さんでいなきゃ
・ちゃんとした妻でいなきゃ
・仕事も家庭も完璧にこなさなきゃ

そう思いながら頑張るうちに、本当の気持ちを置き去りにしていませんか?

   

□完璧を求めて、いつも自分を責めてしまう
□人に頼れず、一人で抱え込んでしまう
□感情を抑え込み、笑顔で乗り切ってしまう
□気づけば、自分の本音がわからない

そんな自分を変えたいのに、どうしていいかわからない。

そう感じているなら、カウンセリングがお役に立てるかもしれません。

  

実は、私自身もかつて、
責任感や完璧主義、HSP気質ゆえの繊細さから、
”誰かの期待に応えるために頑張る人生”を長く生きてきました。

その結果、
不安や焦り、自己否定を繰り返し、心と身体の限界を迎え、”本当の気持ち”も”自分”がわからなくなってしまったのです。

「ちゃんとしなきゃ」「こうあるべき」
そんな思いに縛られ、いつの間にか”誰かの理想の自分”を演じ、心が苦しくなっていたのです。

   

限界を迎え、「このままではいけない」と勇気を出して受けたカウンセリング。
安心した場所で自分の心と向き合っていくうちに、私はようやく本当の想いを取り戻し”心が苦しい人生”から”心が喜ぶ人生”に変わっていったのです。

   

今は、その経験と、看護師として28年間、1万人以上の心に寄り添ってきた経験を活かしながら、「言えなかった想い」「変化のプロセス」に寄り添うカウンセラーとして活動しています。

カウンセリングでいちばん大切なのは、
”安心して心を開ける相手と出会うこと”。

私がどんな人生を歩み、なぜこの道を選んだのかーー
よかったら、この先のプロフィールで知っていただけたら嬉しいです。
少し長くなりますが、ぜひ読んでみてくださいね。

私は、4人姉妹の長女として、共働きの両親の元に生まれました。
父はマイペースで頑固な性格、母は繊細で完璧主義な一面があり、感情のコントロールが苦手な人でした。

   

小さな頃から、周りの空気を読んで行動するのが得意で、「怒られないように」「迷惑をかけないように」と、いつも人の顔色をうかがいながら過ごしていました。

   

母の機嫌が悪いと家の空気が張りつめる…。
そんな日々の中で、私は自然と「怒られないように」と息をひそめ、泣きたいときも、「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われ、自分の気持ちを飲み込むのが当たり前になっていきました。

   

褒められれはホッとして、叱られれば自分を責めるーー。
幼い私はいつも間にか、「いい子でなければ愛されない」と信じるようになっていったのです。

    

妹たちが可愛がられ姿を見るたびに、心のどこかで小さな嫉妬心や寂しさを感じていました。
その気持ちを見せるのが怖くて、「私がしっかりしなきゃ」「お母さんに心配をかけちゃいけない」とさらに“いい子”を演じるようになっていきました。

小学生になると、少しずつ”人との関わり”の中でも繊細さを感じるようになりました。
周りの言葉に傷つきやすく、冗談の一言を何日も気にしてしまうような子どもでした。

    

あるとき、些細な誤解からクラスで孤立してしまい、笑顔の裏で胸がずっとざわついていたことを、今でも覚えています。

「どうして私だけ…」と思いながらも、両親には言えずに”平気なふり”をして過ごしました。

    

その頃から、
「本音を出したら嫌われる」
「迷惑をかけてはいけない」

という思いが心の中で強くなり、少しずつ自分を閉じ込めるようになっていきました

      

本当はもっと自由に笑いたかったのに、
「嫌われたくない」「仲間外れにされたくない」という怖さが先に立ち、気づけば、周りに合わせて笑うことが当たり前になっていきました。

     

友達と一緒にいても、どこか心は孤独で、
人との距離のとり方がわからないまま、
「どうしたらうまくいくんだろう」と自分を責めてしまうこともありました。 

     

そんな私にとって、家もまた”ちゃんとしなきゃいけない場所”でした。
共働きで忙しい両親のもと、
「お姉ちゃんだから妹の面倒を見てね」
「お手伝いしなさい」
と言われるのが日常でした。

    

お手伝いをしないと怒られることもあり、
”いい子”の私は「ちゃんとしなきゃ」と一生懸命に頑張っていました。

本当は甘えたかったのに、いつも間にか”本音を言うことが怖くなって”自分でなんとかしようとするのが当たり前になっていったのだと思います。

    

そうして少しずつ、心の中に「さみしさ」と「息苦しさ」が広がっていきました。
それでも私は、笑顔で頑張ることしかできませんでした。

そうしてみについた”本音を言えない私”の生き方は、大人になってからも、ずっと私の中に残り続けていました。

学生時代の私は、周りから頼まれると断れないタイプでした。

「断ったら嫌われるかも」
「迷惑をかけたくない」
そう思うと、自分の気持ちは後回しになってしまっていたんです。

    

気づけば、いつも誰かのために動いていて、
「自分がどうしたいのか」がわからなくなることもありました。

本当は疲れていても、助けを求めることができず、「私がやれば大丈夫」と無理をしてしまう。

周りからは「しっかりしているね」「頼りになるね」と言われるたびに、嬉しい反面、心の奥では少しずつモヤモヤが募っていきました。

    

感謝をされることも多かったけど、どんなに頑張っても満たされない…。
そんな”心の虚しさ”を感じていたように思います。

   

本当は、「もう無理…」「助けて」って言いたかったのに、その言葉を飲み込んで笑顔に戻る。
それが、いつの間にか私の当たり前になっていったのです。

中学性のころから、人の気持ちに寄り添うことが自然にできる自分に気づきました。
友達が落ち込んいるとき、そっと話を聞いたり、笑わせようとしたり。

「人の役に立てること」が私の安心であり、”自分の存在価値”を感じる瞬間でもありました。

   

そんな自分の性格もあって、
「困っている人を支えたい」
「誰かの力になりたい」
そう思うようになり、自然と看護の道を選びました。

看護学校に入ってからの私は、毎日が緊張の連続でした。
「命を預かる仕事だから、絶対にミスはしてはいけない」
その言葉が、私の心に重くのしかかってきたのです。

    

指導者や先輩の目が怖くて、少しの注意にも「私、ダメだ…」と落ち込み、次こそは失敗しないようにと自分をさらに追い込んでいました。

  

できない自分が悔しくて、休みの日もノートを見返したり、指導者に言われた言葉を何回も思い出しては、「次こそはちゃんとやらなきゃ」と自分に言い聞かせていました。

    

”ちゃんとできる自分”でなければ安心できなかったのです。

    

心の奥には、怒られたくないだけじゃなくて、「がっかりされたくない」「認めてもらいたい」そんな思いが隠れていました。

褒められてホッとして、「よかった、期待に応えられた」と安心する。
その小さな安堵感が、私の”頑張る理由”になっていったのです。

   

いつしか私は、”できない自分”を許せず、”完璧でなければ愛されない”と信じ込むようになっていきました。

    

それは、向上心からくる努力ではなく、”期待に応えるための完璧主義”のはじまり。

   

そして、
「ミスは絶対に許されない」という言葉は、知らず知らずに私の心を縛り、やがて看護師として働く私を、さらに苦しめていくことになるのです。

看護師として働き始めた私は、
”ちゃんとできる自分”でいようとする気持ちが、ますます強くなっていきました。

      

小さな判断ひとつで命が左右される現場。
「絶対にミスをしてはいけない」
その意識が、私の心にさらに重くのしかかっていったのです。

     

患者さんのために最善を尽くしたい。
後輩の見本でなければならない。
上司にも信頼されたいーー。

そんな思いで、誰よりも早く出勤し、遅くまで記録や準備をしていました。

    

「あなたなら大丈夫」「あなたに任せたい」
そう言われるたびに、胸の奥が少し温かくなりました。
その言葉が私の支えであり、存在価値の証のように感じていたのです。

   

けれど、どんなに頑張っても「まだ足りない」と感じてしまう。
少しのミスや注意で深く落ち込み、
「もっとちゃんとしなきゃ」
「期待に応えなきゃ」
自分を追い込んでいく毎日でした。

    

そして、先輩や上司、医師の顔色や言葉のトーンに敏感に反応し、
「怒っているのかな?」
「何か気に障ったかな?」
と人の機嫌を伺いながら働くうちに、心は少しずつすり減っていきました。

    

疲れていても本音や弱音は吐けず、
「大丈夫」と笑顔をつくることがいつの間にか癖になっていました。
本当は不安で泣きたくなる日もあったのに、
「しっかりしなきゃ」と自分の気持ちを押し込めていたのです。

  

どんなに笑顔をつくっても、心の奥ではいつも小さな痛みが消えません。
”誰かの期待に応える私”ばかりが前に出て、”本当の私”の声は、次第に聞こえなくなっていきました。

   
それは、仕事だけでなくプライベートでも同じでした。

恋人ができても、「嫌われたくない」と思うあまり、
自分の気持ちを後回しにして我慢することが当たり前になっていました。

    

気づけば、恋愛でも尽くしすぎてしまう私がいました。
相手の気持ちばかりを優先して、自分の本音を伝えることができなかったんです。

    

素直に「寂しい」「助けて」と言うこともできずに、強がりの笑顔で”平気なふり”をしていました。

    

本当は、ただ「大切にしてほしい」だけなのに、
その想いを言葉にすることが怖くて、
「愛されるためには我慢しなきゃ」と信じ込んでいたんだと思います。

    

だから、大切にされない恋愛ばかりを繰り返していました。
本音を言えば離れていくかもしれない…。
そう思うと怖くて、傷つく前に自分を飲み込んでしまっていたのです。

”誰かのための私”を生き続けた心が苦しい日々。
気づけば、心も体も休むことを忘れていました。

     

仕事では責任とプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、
「大丈夫」「まだ頑張れる」
と自分に言い聞かせていた私。

でも、体は正直でした。
ある日突然、突発性難聴を発症したのです。  

それでも私は、立ち止まることが怖くて
「迷惑をかけたくない」
「私がいないと回らない」

と無理をして仕事に戻ってしまいました。

     

やがて私は、看護師として経験を重ね、師長を経て副看護部長になりました。
責任ある立場に立つほど、「信頼される嬉しさ」と同時に、これまで以上のプレッシャーがのしかかってきました。

「自信のない自分を見せてはいけない」
「期待を裏切ってはいけない」
という気持ちは、ますます私を縛っていきました。

     

周りの目や言葉に敏感に反応し、完璧を求めて頑張りすぎ、常に「どう思われるか」を気にして生きていたのです。

   

この頃の私は、不安や焦りしかありませんでした。
「成果をだしていないと批判されるのではないか」
そんな恐怖が頭から離れず、傷つくのが怖くて、さらに自分の本音を言えなくなっていきました。

     

気づけば、組織の”こうあるべき”にがんじがらめになり、自分の心よりも、周りの期待を優先していました。

”絶対に応えなきゃ”と自分を追い込み、
誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまでの残る。
気づけば、業務のほとんどを一人で抱え込むようになっていったのです。

    

休憩をとる余裕もなく、心も体も限界に近づいていました。
耳鳴り・頭痛・胃痛・不眠…。
体が何度も「もう限界だよ」とサインをだしていたのに、
”ちゃんとしなきゃ””期待に応えなきゃ”という思いが、その声をかき消してしまっていたのです。

    

そしてある朝、体がまったく動かなくなりました。
立ち上がろうとしても足が震え、涙が止まらない。
その瞬間、心の中で小さな声がしました。

ーーもう無理。

張りつめていた糸がぷつんと切れ、すべての気力がなくなったのです。

この時すでに”限界”を超えていました。
けれど私は、診断を受けることさえ怖くて病院へはいけませんでした。
「適応障害」や「うつ」と言われたら、
”ダメな自分”の烙印を押されるようで、受け止める自信がなかったのです。

      

こうして私の頑張り続けた先に待っていたものは、「成功」でも「充実感」でもなく、燃え尽きでした。

      

完璧であろうとするほど苦しくなり、
人に合わせるほど自分を見失っていく。
それが、私が生きてきた”他人軸の完璧主義”の姿でした。

心も体も限界を迎えていたのに、
「大丈夫」「まだやれる」と自分に言い聞かせていた私。

それから2~3年、
心に蓋をして、限界な自分を隠しながら走り続けました。

    

そして、ほんとうに”頑張る”ことができなくなってしまったんです。
そのとき、心の奥で小さく声がしました。

ーー「このままでは壊れてしまう」

私は、突発的に退職を決意しました。
まるで逃げ出すように職場を離れた自分を、しばらくは責め続けていました。

自分で決めたことなのに、
これまで積み重ねてきたものを手放した喪失感、
「もう役に立てない」という無力感。
心の奥にぽっかりと穴が空いたようでした。

「何のために頑張ってきたんだろう」
「私の人生って、なんだったんだろう」

時間だけが過ぎていく中で、
これまで押し込めてきた感情が次々とあふれ出してきました。

ーー悲しみ、怒り、悔しさ、そして”空虚”

それは、とても苦しい時期でした。

   

仕事を手放して少し時間ができたはずなのに、心の中はどこか満たされないままでした。

当時の私はパートナーとの関係でも、
「嫌われたくない」「ぶつかりたくない」と思うあまり、本音を飲み込み、笑顔でやり過ごすことが多かったんです。

     

本当は、ただ”わかってほしい””支えてほしい”だけだったのに、とう伝えたらいいか分からなかった。
傷つくのが怖くて、素直に気持ちを出すことができず、いつの相手に合わせてしまっていました。

   

「大丈夫」「平気」と言いながら、
心の中ではぽっかりとした孤独を抱えたいた。
でも、その寂しさを言葉にする勇気がなかったんです。

   

仕事でも、家庭でも、
”誰かのための私”を生き続けていた私は、気づけば、自分の心をすっかり見失っていました。


でも、心の奥のどこかで、
「このままでいいんだろうか?」
「私らしく生きていきたい」

そんな小さな声が、確かに聞こえていました。

    

そして私は、勇気を出してカウンセリングを受けることにしたのです。
あのときが、
”本当の自分”と出会うための第一歩でした。

勇気を出して、カウンセリングを受けてみようと思えたのは、
「このままでいたくない」
「変わりたい」
そう、心の奥から聞こえた小さな声がきっかけです。

  

でも、最初はとても怖かったんです。
「何を話せばいいんだろう」
「私なんかが相談していいんだろうか」

そんな不安をかかえながら、初めてカウンセリングの扉を開きました。

    

けれど、そこで出会ったのは”否定されない安心感”でした。
どんなことを話しても受け止めてもらえる。
泣いても、黙ってもいいーー
そんな空間に身を置いたとき、
ずっと張りつめていた心が、少しずつほどけていくのを感じました。

    

これまで誰にも言えなかった本音。
「苦しかった」「怖かった」「本当は助けて欲しかった」
その言葉を一つずつ口にするたび、心の奥にたまっていたものが静かにあふれ出していきました。

   

泣きながら話す私に、
カウンセラーはこう言ってくださいました。

「ずっと頑張ってきたんですね」

その一言に、心の奥がじんわりと温かくなり、
「ここなら、どんな私でも大丈夫なんだ」と思えたのです。

その”安心できる場所”があったからこそ、私は少しずつ、自分の心と向き合う勇気が持てるようになりました。

最初は自分の気持ちを言葉にすることさえ怖かった。
でも、カウンセラーとの対話の中で、少しずつ自分の心に耳を傾けられるようになりました。

「私はどうしたいんだろう」
「本当はどう感じているんだろう」

そんな問いを自分に向けられるようになったとき、”他人軸”で生きていた私の中に、小さな”自分軸”が芽生えていったのです。

   

そして気づきは、カウンセリングの時間だけでなく、日々の小さな瞬間の中でも少しずつ育っていきました。

    

朝、鏡の前で「今日も大丈夫」と声をかけてみる。
疲れた日は、無理せず休む。
できなかったことより、できたことを見つめる。
誰かの期待より、自分の”心の声”を優先してみる。

    

そんな小さな選択を重ねていくうちに、
「頑張らなくてもいいんだ」
「ありのままでいいんだ」
と思える瞬間が増えていきました。

   

少しずつ自分を責める癖が減っていく中で、私の心の中の”悪循環”にも気づけるようなりました。

   

たとえば、
「ちゃんとしなきゃ」「迷惑をかけたくない」とおもうたびに、心の中で自分を責めていたこと。
そんな思い込みを書き換える練習を始めたのです。

    

「できない=ダメ」ではなく、
「今はまだ途中なんだ」と優しく受け止める。
それだけで、心が少し軽くなることを知りました。

また、人間関係の中で息苦しさを感じたときには、
”心の距離”を見つめ直し、小さな一言でも本音を言う練習をしました。

そんな一つひとつの実践が、ストレスや不安に振り回されない”安心の土台”を少しずつ育ててくれたのです。

気づけば、
”我慢することが当たり前になっていた心のブレーキ”が少しずつ外れていきました。

怖くて閉じ込めてきた本音を、ようやく言葉にできるようになったとき、
「私が本当に大切にしたい想い」が自分の中ではっきりわかった気がしたのです。

   

そして不思議なことに、自分の心と丁寧に向き合うようになってから、周りとの関係も少しずつ変わっていきました。

無理に笑わなくても、人といられるようになり、
「こうしなきゃ」と力が入っていた関係が、ふっと楽になっていったのです。

  

相手の期待に応えようとするよりも、
「私はどう感じているんだろう」と自分を大切にすることで、人との距離も自然と心地よく保てるようになりました。

   

頑張って”いい人”でいなくても、ありのままの私で人と繋がれるーー
それが、何よりも心が喜ぶ瞬間でした。

  

「心が苦しい毎日」から「心が喜ぶ毎日」へ。
その変化は、何かを頑張って得たものではなく、安心できる対話の中で、自分軸を取り戻す勇気が生んだ、優しい変化だったと思います。

この経験をきっかけに、私は、
「同じように苦しんでいる誰かの力になりたい」と強く思うようになりました。

そこから、心理学やカウンセリング、コーチングを学び始めました。

    

学べば学ぶほど、
あの頃の私が”弱かった”のでなく、”心の整え方を知らなかっただけ”だと気づきました。

 

そして、人は誰でも
「安心できる対話」と「自分を理解する力」があれば、どんな過去からもしなやかに変われることを実感したのです。

   

今の私は、カウンセラーとして多くの方の、”言葉にならなかった想い”や”心の変化の道のり”に寄り添っています。

   

ただ話を聴いて優しい言葉をかけるだけではなく、その人の内側にある「本当の声」が静かに動き出す瞬間を大切にしています。

私がお届けしたいのは、一時的な癒しではなく、”自分の力で変わっていける心の土台”を育てるカウンセリングです。

   

誰かの期待に応えようとして傷ついた人が、安心して”自分の声を”を取り戻せるように。

そして、かつての私のように
「もう頑張れない」と感じている人が、少しずつ”自分を信じられる”感覚を取り戻せるように。

そんな思いを込めて、今日も一人ひとりの心に寄り添っています。

「どうせ私なんて変われない」
「こんな自分、誰にもわかってもらえない」

ーーそう感じてしまうことがあっても、大丈夫です。

  

あの頃の私も、まったく同じ気持ちを抱えていました。
だからこそ、私はあなたの痛みに寄り添えます。

 

心が苦しいとき、
人はつい「頑張らなきゃ」「平気なふりをしなきゃ」と自分を責めてしまいがちです。

  

でも、本当に必要なのは「頑張ること」ではなく、”いまの気持ちを安心して言葉にすること”だと思います。

  

あなたが抱えてきた”辛さ”や”悲しみ”を誰かに話してもいいんです。
言葉にすることが、心の奥に固まった思いを溶かし、少しずつ”本当のあなた”を取り戻すきっかけになります。

私がそうだったようにーー。

安心できる対話の中で、あなたの中に眠っている”しなやかな力”がきっと顔を出してくれます。

  

もう、ひとりで抱え込まなくても大丈夫。
あなたのペースで、ゆっくりと心を整えていきましょう。

 

「心が苦しい人生」から「心が喜ぶ人生」へ。
その一歩を、私はあなたと一緒に歩いていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。